この猫にはじめてあったのは、たしか6年前の夏でした。神楽坂の定食屋さんトレドの食客猫ミーの写真を撮るため、神楽坂に通っていた、コンパクトデジカメ使い始めの頃でした。
神楽坂の表通りから一本入った、八百屋さんや銭湯やらが並ぶ裏通りをアグネスホテルのほうへ上っていく小さな坂道脇に、彼女はいつもいました。そのころは、黒い猫といつも一緒で、きょうだいなのか夫婦なのか、分かりませんでしたが、1回お産をしたことのある猫だと聞いたので、夫婦だったのかもしれません。
ゴハンは、近くの小料理屋の猫好きの女将さんからもらっていて、観光客のあまり通らない、神楽坂の路地生活をのんびり楽しんでいるようでした。
彼女は、けっして媚びない猫でした。塀の上などでくつろいでいる彼女に、わたしが声をかけると、たしかに目の中にポッと喜色がともるのですが、「べつに待ってなんかいたわけじゃないわ」というふうに、ゆっくりと立ち上がって、すぐ近くにくるのですが、さわらせてくれることはありませんでした。ゴハンをやっている女将さんにもさわらせなかったそうです。
でも、彼女は、わたしのそばを離れることなく、ついて回り、「写真を撮らせてね」というと、すいっと目線を外して空を見上げ、ポーズをとってくれるのでした。たぶん、とっても恥ずかしがりやさんだったのだと思います。『道ばた猫ものがたり』という写真集を出したときには、彼女に表紙になってもらいました。
こうした、つかず離れずの彼女との「友情」は2年続いたでしょうか。料理屋の女将さんが亡くなって、彼女と相棒の黒猫は、近所の人たちからゴハンをもらっているとのことでした。そして、あるときから、黒猫の姿をみなくなりました。そのころから、彼女のピンクだった鼻先はベージュ色になり、さみしそうで、体調もよくないようでした。
ある日、わたしは、意を決して彼女に尋ねました。「うちのこになる?」。
彼女は、わたしをじっと見つめ、くるっと向きを変えて閉店してしまった小料理屋のうらのすきまへと消えていきました。「いいえ。わたしは神楽坂の猫(こ)です」と、きっぱり言っているようでした。それが、彼女を見た最後でした。3年前のことです。
あとになって、彼女の面倒を最後までみていたという女性に聞いたところでは、だんだん元気がなくなって、ある朝、冷たくなっていたとのことでした。最後まで手当てもし、気にかけてくださっていたようで、ほっとしました。
彼女のいない坂道は淋しすぎて通ることもしなくなっていたのですが、定食屋トレドのマスターが以前こんなことを言っていたのを思い出したのです。「そこの角の坂道にいる白黒のノラの産んだ子どもたちの一匹が、バレー教室にもらわれていって、生徒さんたちにまじって飛び跳ねてるんだってさ。お母さんに似たハチワレ息子で、怪傑ゾロみたいな黒マスクなんだって」。
先週、神楽坂に取材で行った折、きゅうに、その息子に会いたくなりました。バレー教室の前でひなたぼっこをしていた三毛猫をかまっていると、バレー教室のなかから、ころころっとしたハチワレ猫が顔を出しました。本当に怪傑ゾロのような頭巾です!バレー教室の助手をしているという感じのいいスレンダーな女性が「ノラクロという名前だけどノラクとよんでます。教室の人気者なんですよ。どうぞ門の中に入って写真をお撮りになって」と言ってくださいました。カメラを向けると、それまでやんちゃ顔だったノラクは、すっと目線を外して空を見上げ、おすましポーズをとりました。(おまえのお母さんもそうやっていつも写真を撮らせてくれていたよ。おまえもお母さんににてシャイなんだね!)・・・いとしさと懐かしさで胸がいっぱいになりながら、わたしはノラクに心の中でそう話しかけていました。
写真
道ばた猫日記ライター紹介
佐竹 茉莉子(さたけまりこ)
フリーランスのライター。路地や漁村歩きが好き。町々で出会った猫たちと寄り添う人たちとの物語を文と写真で発信している。写真は自己流。著書に『猫との約束』『寄りそう猫』『猫だって……。』『里山の子、さっちゃん』など。朝日新聞WEBサイトsippoにて「猫のいる風景」、辰巳出版WEBサイト「コレカラ」にて「保護犬たちの物語」を連載中。
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かたっぽだけ長い靴下ってのも、なんというか、せつないようで微笑ましいですね。
by きんちゃん 2012-04-28 18:03
「道ばた猫ものがたり」、今みています。一枚目の写真を見て、あっ、と思いました。懐かしい知り合いにあったような気持ちです。
by たこやき 2012-04-29 02:20
性格って遺伝するのかな? 我が家の猫にもときおり、母猫の面影を見る時もあります。
ノラクとお母さん猫さん、目線のあげ方がそっくり!
by もりゅこ 2012-05-01 00:40
こういう話を読むと、ウチのコの子供も見たくなりますね。
もう避妊しちゃったので、もう叶わない夢ですが……。
by しのりゅう 2012-05-03 16:41