あさのますみさんの『
日々猫だらけ ときどき小鳥』(ポプラ社)の発売を記念して、エッセイの一部を公開します。どうぞお楽しみください。
1 交番の子猫 前編
それは、春も終わりに近づいた夜のことだった。
私は大通り沿いを、荷物を抱えて歩いていた。手には、コンビニで配送に出す予定の段ボール、肩には、図書館の返却ボックスに返す本がつまったトートバッグ。
その日は、収録で帰りが遅かった。私は声優として仕事をしており、いつも時間が不規則なのだ。帰宅した時点で時刻はすでに二十二時を回っていて、五月とはいえ、まだまだ外は肌寒かった。早く家に戻りたい、でも荷物が重くてそう速くも歩けない。そのとき、よたよた進む私の耳に、喧騒に混じってふと、こんな声が聞こえてきた。
「そこで、猫を預かっちゃって......!」
顔を上げるとそこは交番の前で、ほんの一瞬、女性警官らしき人の姿が見えた。胸になにかを抱えて、足早に交番に入っていく。それがなにかを確認する間もなく、その人は建物の中に消えていった。
猫? 今、確かに「猫」って聞こえた。じゃあ、抱かれてたのは猫? 拾得物を預かるみたいに、猫を預かったってこと?
コンビニで荷物を出し、図書館に向かいながらも、頭からはさっきの声が離れない。
猫って子猫かな、どんな模様かな、瞳の色は? 預かるって、一体どういう経緯だったんだろう。初対面の人でも抱きかかえることができるなら、まだ警戒心が芽生える前の赤ちゃん猫か、それともよっぽど人懐っこい性格の子か──そこまで想像を巡らせて、思わず、あれ? と立ち止まった。
交番で預かった猫って、そのあとどうなるの?
拾得物は、持ち主が現れなければ、拾った人のものになるという。じゃあ猫は? 飼い主が現れなかったとき、この猫はあなたのものですと言われても、受け取れない人が大半なんじゃないだろうか。かといって預かった以上、勝手に外に放すわけにもいかないはずだ。
スマートフォンで検索してみた。でも、明確な答えは見つからない。それどころか、決して幸せとは言えない末路が書かれたページも出てきた。ここではっきりさせなければ、きっとずっと心に引っかかる。結局私は帰り道、交番に立ち寄ることにした。
「あの、すみません、さっき前を通りかかった者なんですが......その猫は、最終的にどうなるんでしょうか」
突然現れた私に、お巡りさんたちは驚いたようだった。机の上には、小さなプラスチックのケージが置かれていて、中は見えないものの、かすかに鳴き声が聞こえてくる。ああ、あそこにいるんだ。そう思ったとき、さっき見かけた若い女性警官が言った。
「二週間、飼い主が現れるのを待ってみて、誰も名乗り出なかった場合、猫は保健所に連れて行きます」
一瞬、言葉が出なかった。すれ違ったとき聞こえた、猫を抱いてはしゃいだ声が、まだ耳の奥に残っている。でもどこかで、ああやっぱりとも思った。
「じゃあそのときは、私に引き取らせてください」
気づけばそう言っていた。自分でもあっと思った。深い考えなどなにもない。ただ、そうですかわかりましたと帰る選択肢を持っていなかった、それだけだった。
お巡りさんたちは、戸惑った顔をしている。それでも、猫を見せてもらっていいですかとお願いすると、ケージの前に通してくれた。そして、私はそこではじめて、声の主と対面した。
「わあ」
思わず声が出た。中にいたのは、片手でひょいと持ててしまうくらいの子猫だった。全身が汚れてくすんでいるけれど、まじりっけのない白猫。小さな体をこわばらせて、シャーッとこちらを威嚇している。
警察に保護されたおもちを動物病院に連れて行った。
でも、顔に対して大きすぎる二つの瞳は、まだまだあどけない。
怖いんだね、そりゃそうだよね。君はどこにいたの、どうしてこんなところに連れてこられちゃったの?
子猫は不安げに、ケージの中をぐるぐる動き回る。ぷうんと強いにおいが漂ってくるのでよく見ると、お腹を下しているらしく、おしりのまわりがひどく汚れている。誰があげたのか、足元にはサラミが何本か転がっている。檻にかけた前足の爪は尖り、体にはあちこち虫もついているようで、「飼い主が現れるのを待つ」と説明されたその子猫は、どこからどう見ても、野良猫だった。
その日はすでに時間外で、署の拾得物の窓口は閉まっているとのことだった。だからすぐに返事はできないが、なにかあったら連絡しますと説明を受けて、私はひとまず帰路についた。
トリミングしてもらったら、綺麗な白猫に!
あさのますみ:秋田県生まれ。声優・浅野真澄として活躍する。2018年『まめざらちゃん』にて第7回MOE創作絵本グランプリを受賞。著書にエッセイ『ヒヨコノアルキカタ』(絵・あずまきよひこ)『ひだまりゼリー』、絵本に「アニマルバス」シリーズなどがある。
『日々猫だらけ ときどき小鳥』
あさのますみ
定価:本体1500円(税別)
2月20日発売・ポプラ社
猫に甘えて暮らすのは、なんて幸せなんだろう。寝ているときにおなかの上を全力疾走されたり、お気に入りのバッグにおしっこされたり、トイレットペーパーが部屋中散乱したりするけれど、ふわふわで温かい生き物が、てらいもなく思いをぶつけてくる。ただくっつきたくて、私のところにやってくる。この時間は、まるで特別な贈り物のようだ――猫4匹&鳥2羽との出会いをはじめ、賑やかな日々を綴るエッセイ22本。写真もたっぷり入ります。
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あさのますみ先生らしい温かな文章。拾得物あつかいとされた子猫を放っておけない行動から優しさが伝わってきます。すごく楽しみな一冊
by ゲイル07 2020-01-29 13:04
あさの先生の猫に対する愛情が真っ直ぐに伝わる、素晴らしい本だと思います。愛猫家の方は、是非!
by 磯野ホッケ 2020-01-30 03:52
あさのますみさんの優しさが暖かい文章から伝わってきます。「猫に甘えて暮らすのは、なんて幸せなんだろう」から始まる紹介文がとても素敵です。おもちちゃんのお話の続きも気になりますので発売を楽しみに待ちたいと思います。
by 月餅 2020-02-02 14:43