あさのますみさんの『
日々猫だらけ ときどき小鳥』(ポプラ社)の発売を記念して、エッセイの一部を公開します。どうぞお楽しみください。
3 天文学的出会い 前篇 はこちら
4 天文学的出会い 後編
私、ちょっと無計画すぎたかも。勢いで引き取ると決めてしまったけど、結局は全員に、窮屈な思いをさせてしまうだけなのかも。そんなふうに思いはじめたとき、ふいに彼が言った。
「おもちとは、きっとご縁があったんだよ」
そして、生まれてはじめて猫を拾った日のことを話してくれた。それは私も聞いたことがある、でも何度でも聞きたくなる思い出話だった。
今から十年以上も前のこと。彼が部屋で一人仕事をしていると、細く開けた窓のむこうから、弱弱しい鳴き声が聞こえてきたという。声を頼りに外に出てみると、車道のど真ん中に、なにやらモソモソうごめく生き物がいた。近づくとそれは、まだ目も開いていない、手のひらにすっぽり収まるくらいの、小さなちいさな、猫の赤ちゃんだった。
まわりを見回しても、母猫らしき姿はない。このままでは轢かれてしまう。だけどどうしたらいいんだろう。猫など触ったこともなかった彼は、ひとまず近所の動物病院に、その赤ちゃん猫を連れて行くことにした。動物病院なら、預かって里親を探してくれるかも知れないと思ったのだ。
「生後三、四日というところだね。子猫ってすごく弱いから、目を離さず、数時間おきに、
このスポイトでミルクをあげて」
獣医さんは育て方を教えてくれただけで、赤ちゃん猫を引き取ってはくれなかった。仕方がない。ある程度大きくなったら、自分でもらってくれる人を探そう。こうして、生まれてはじめての猫との暮らしがはじまった。
彼の職業は、漫画家。当時はデビューしたばかりで、ひたすら机にかじりつき、一日中漫画を描くという生活だった。赤ちゃん猫を育てるには、それがかえって良かった。ティッシュの空き箱にタオルを敷き、赤ちゃん猫を入れると、仕事机の前に置いて見守った。ティッシュの箱さえ自力では脱出できないくらいに、猫はまだ小さかったのだ。
名前は「ひより」とつけた。獣医さんが雌猫と言うからその名前にしたのだが、一週間後にもう一度連れていくと「ごめん、よく見たら雄だった」と言われたらしい。ひよりは彼から片時も離れず、二、三時間おきにミルクを飲み、寝るときは彼の腕に頭をのせて、同じ布団で寝た。里親を探そうという気持ちは、いつのまにかどこかに行ってしまった。
数ヶ月が経ったころ、彼は、不思議なことに気がついた。
実はひよりは、上手に声が出せない猫だった。成猫になってだいぶ経ってから鳴き方を習得したものの、最初の数年間は、空気が漏れるようなごく小さな音を出すだけで「にゃあ」という声にはできなかった。
それならどうしてはじめて出会ったあの日、ひよりが発する、音にならない声が聞き取れたんだろう。仕事場は二階で、しかもひよりはまだ目も開いていない、生後たった数日の赤ちゃん猫だったというのに。
「縁があったってことなんだと思う」
と彼は言った。拾われる猫はみんな、ものすごい偶然が重なって、二度とは起きないだろう天文学的な確率で、自分のところにやってくるのだと。
そうかも知れない。おもちだっておんなじだ。私があと数秒、家を出るのが遅いか早いかしていたら、荷物があんなに重くなかったら、大通りの喧騒があと少し大きくて女性警官の声が聞こえなかったら──。
そこまで考えたとき、あ、と思った。おもちと出会えた一番大きな原因は、実はひよりかも、と思ったのだ。
十年前、彼が出会った一匹の猫、ひより。
いつも落ち着いていたひより
私にとってもまた、ひよりは、生まれてはじめて仲良くなった猫だった。最初に肉球を触らせてくれたのも、私の腕枕で眠った唯一の猫も、ひよりだった。
おもちと出会った夜。喧騒の中で「猫を預かっちゃって」という声を聞いたとき、とっさに私の頭に浮かんだのは、ひよりの姿だった。ふかふかの前足やピンと伸びたひげ、お腹を見せてこちらを見上げる、子猫のような甘えたまなざし。抱きしめたときに感じる、ほんの少し切なさが混じった幸福な気持ち。「猫」と聞いただけでそれらがありありと蘇って、あのときどうしても、黙って立ち去ることができなかったのだ。
ひよりはもう、ここにはいない。突然の別れをまだ引きずる私たちのところに、明日、おもちはやってくる。生まれ変わりだなんてセンチメンタルなことを言うつもりはないけれど、ひよりに紹介された、くらいに思っておくのは、きっと悪いことじゃない。
「よし、できた」
組み立て式のケージに、おもちの鼻の色と同じ、薄ピンクの毛布を敷いた。タッパーに猫砂を入れて設置すれば、おもちハウスの完成だ。
二人と、四匹と、二羽。私たちの新しい生活が、はじまろうとしていた。
猫たちのベッドを観察中、オカメインコのアビ。
あさのますみ:秋田県生まれ。声優・浅野真澄として活躍する。2018年『まめざらちゃん』にて第7回MOE創作絵本グランプリを受賞。著書にエッセイ『ヒヨコノアルキカタ』(絵・あずまきよひこ)『ひだまりゼリー』、絵本に「アニマルバス」シリーズなどがある。
『日々猫だらけ ときどき小鳥』
あさのますみ
定価:本体1500円(税別)
2月20日発売・ポプラ社
猫に甘えて暮らすのは、なんて幸せなんだろう。寝ているときにおなかの上を全力疾走されたり、お気に入りのバッグにおしっこされたり、トイレットペーパーが部屋中散乱したりするけれど、ふわふわで温かい生き物が、てらいもなく思いをぶつけてくる。ただくっつきたくて、私のところにやってくる。この時間は、まるで特別な贈り物のようだ――猫4匹&鳥2羽との出会いをはじめ、賑やかな日々を綴るエッセイ22本。写真もたっぷり入ります。
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20日書店に予約。地方で、発売日に手に入れるのは、難しい。わくしながら待っている。
by 妖怪元気ババァ 2020-02-21 07:44