フェリシモ猫グッズの販売額の一部である「フェリシモの猫基金」、フェリシモメリーポイントの「動物たちの保護と飼い主探し支援」、 毎月ひと口100円「フェリシモわんにゃん基金」等でみにゃさまからご支援をいただいている団体さまの活動レポートです。
実施場所: 東京都・神奈川県、およびその隣接県
「今朝は雪。雪の大好きだったプリン。飛び回り雪を食べてたプリンを思ってます」
この12月、長野に住む里親様から1枚のハガキが届きました。そのお便りにあった一文。そこには、愛する犬を喪った人すべてに通じる真情がありました――。
12月にいただいたハガキ。裏面にはプリンの晩年の写真が印刷されている。
このプリンという名のラブMIXの女の子には、じつは私たちにも特別な思い入れがあり、お便りの文面には強く胸にこみあげてくるものがありました。
2009年の2月3日、東京都動物愛護相談センターから母犬1頭と子犬6頭を引き出しました。
子犬たちは1月21日に生まれたばかりでしたが、その6日後に、あろうことか飼い主は母犬と父犬、そしてまだ目も開いていない子犬6頭すべてをセンターに放棄したのです。
生後1か月ちょっとのプリン
センターから直接里親さんに譲渡された父犬を除いた母子7頭を私たちが引き受けました。プリンはその1頭でした。
父犬はMIX、母犬は黒ラブかまたは黒ラブに近いMIXでしたから、子犬たちにもラブの血が感じられました。
子犬たちのなかでプリンは穏やかで押し出しが弱く、たとえばカートに全頭を載せて散歩に出るといつの間にか他の子犬たちに踏みつけられているような子でした(写真参照)。みんなで食事すると、ぼやぼやして食いはぐれそうになるこの子(ともう一頭)のことをボランティアはいつも気にかけていました。
カートで散歩に出る母犬と子犬たち。プリン(黄色の円内)は他の子犬に踏まれている
もちろん、ラブの血が入っている子犬たちでしたから、成長とともにみんな十分すぎるほど活発になりました。
しかしある日、私たちの不手際でプリンの前肢を骨折させてしまいました。それからじつに長いあいだプリンには辛い治療と不自由なギプスに耐える日がつづきました。私たちにとって救いだったのは、プリンの穏やかな向日性、そして楽天的なのんびりとした気性でした。
治療を尽くしても、残念ながら、プリンが前脚を軽く引きずるのは完全には治りませんでした。
ギプスをしても明るく元気なプリンだった
不妊手術後、プリンはお申込みのあった若いご夫婦のところにトライアルに出ました。しかし、意外にも(遊びで)興奮すると大騒ぎになるのでマンションでは飼えないという理由で戻ってきました。
落胆しているところに次のお申込みが入りました。今度は62歳と60歳のご夫婦でした。「興奮すると手に余る」と戻ってきたラブの血の入った子です。電話で「まだ子犬でこれから10年以上生きる。ラブ系なので力も強いし、高齢のご夫婦には難しいと思う。飼うのであれば違う子にしたほうがいい」とお断りの方向で夫人を説得しました。電話はご主人に代わりました。だんだんやり取りが剣呑となって「高齢者は犬を飼ってはいけないと言うのか」と先方の口調も強くなったところで電話は終わりました。
常ならそこで交渉は終わりです。ですがこのとき、電話を切って私はしばらく考え、「あれほど熱心に、夫婦揃って強い思いを語っていたのだから、いい飼い主になるのではないか」と思い直しました。すぐに電話をかけ直し、お見合いを勧めてみることにしました。
そうしてほどなく、最良の飼い主様に出会ったと知ることになりました。
このご夫婦はその後、東京のお住まいを売って長野に引っ越しました。(ご主人の)念願だった田舎暮らしを始め、薪ストーブの前がプリンの冬の定位置となりました。
私も一度、長野のお宅を訪ねました。プリンは嬉しそうに家じゅうを案内してまわりました。
ご夫妻は、プリンの甘えん坊は困ったものだと言い、どちらも、連れ合いが甘やかして困ると話します。
長野のお宅で。食卓での会話にはプリンも一人前にマジメぶった表情で着席して参加した
ああ、あのとき電話をかけ直してよかった! お断わりしたままにしないでよかった!
私は内心そう声をあげました。
申込者の年齢で犬の譲渡をお断りすることはありますし、もちろんそれには相応の理由もあります。しかし、常に心の感度を磨いておかないと、ボランティアにとってたいせつなものを見失う可能性があると知りました。心を持った人間が犬と暮らすのであり、年齢という人の属性を示す数字がすべてを決めるわけではないのだと。
そして――そのプリンがこの8月に亡くなりました。直後に電話でご報告をいただきました。痛切なお話しぶりでした。しかし、その4か月後に受け取ったこのハガキのさりげない文面に、犬を喪った人間の悲しみが溢れていると私には感じられました。時間がたつほどにぽかっと開いた心の空隙が増していくあの感覚。同じ経験を有する者として飼い主様の辛さが胸に迫ります。
一方で私たちは、こういう飼い主様に看取られて旅立つ犬は最高に幸せなのだと信じています。
悲しく辛い別れのご報告を聞くために私たちは活動をつづけているといっていいかもしれません。身寄りのない犬を保護し、新しい家族を見つけ、幸せに暮らしている姿を確認し、最愛の家族のもとで旅立つのを見届けるのが私たちの役割だし誇りだと考えています。
<ご支援くださっているみなさまへ>
12月9日に1頭の柴犬の女の子を横浜市動物愛護センターから引き取りました。
年齢はセンターの見立てで10歳。小柄で痩せていて、40~50センチくらいの高さから地面に飛び降りると脚が体を支えきれずにペシャンと潰れてしまうほど筋力がありませんでした。つまり最低限の運動ができる環境にいなかった......。
それでいて、人間に対して疑いや敵意のようなものはまったくありませんでした。まるで透明で色の付いていない子のように見えました。
不妊手術をお願いした獣医師から、「卵巣が肥大していて一部が周囲に癒着していた。手術はたいへんだった」との連絡がありました。腫瘍も疑われましたが、幸い細胞診の結果は良性でした。私たちは「繁殖犬として酷使されたのではないか」と思いました。高齢になってその役に立てなくなったと判断されたときに棄てられたと。
何を申しあげたいかというと、こうした高齢で全身状態のあまりよくない犬を私たちが引き取ることができるのも、多くの方々のご支援に支えられてのことなのです。
私たちの活動資金の多くはご寄付によっています。
私たちがお名前も知らない多くの方々が買い物の際などに私たちの活動に心をよせてくださり、ご寄付をしてくださっていることを私たちは存じあげています。
そうした後押しをいただいているからこそ、私たちはこうして犬を保護できています。
しかし、これは何度でも繰り返させていただきますが、私たちの励みとなるのは金額の多寡ではなく、そうした多くの市井の方々が私たちの活動を応援してくださっているという事実です。
ありがとうございます。そうしたお気持ちにこたえられるよう精いっぱい活動していきたいと思います。
「Perro Dogs Home(ペロ・ドッグズ・ホーム)」
http://www.perro-dogshome.com/